郡上高校時代に演劇の面白さを知って、町の有志で発足した劇団「ともしび」のメンバーとなり、はやウン十年…。
30代には句会「とねりこ」に足を突っ込み、定例の句会が近づくと句作に苦しみながらもせっせと足を運びました。
42歳で三味線を始めました。年の離れた姉たちが琴や三味線、謡曲などをやっていて耳では慣れ親しんでいたせいか、好きで始めた三味線は稽古も苦にならず、今ではこちらの方がメインな生活と言えるほどになってしまいました。春まつりの夜は、つむぎの着物に編み笠姿で顔を隠し、20年以上三味線の流しを続けています。
そうそう、お囃子クラブにも所属して、郡上おどり会場では前座で出演し、その他諸々色んなイベントにも顔を出しています。
平成18年で幕を閉じた「郡上八幡大寄席」も32年間続き、その事務所として毎年6月が近づくと店の前にのぼりを立て、自他共に気分を高めていました。大寄席の歴史を語るには、郷土文化誌「郡上」の存在無くしては語れません。
この郷土文化誌「郡上」の編集部の一員として関わらせてもらい、多くの思い出と学びをいただきました。
40代の終わりには長唄を習い始め、「花のみよし野」の復活の夢へと繋がっていきました。
そんなこんなで、この間子育ても必須でしたが、家族やご近所の方々に支えられて何とか切り抜けてまいりました。
ここだけのお話、遠い過去には離婚の危機もありました。
長姉に、別れるなら出て行くのはあんただと叱られ、反省して今日に至っているのです。今はオシドリ夫婦となっておりますのでご安心を。(笑)
PTA活動をはじめ教育委員会、商工会や観光協会関係、さつきの会、お囃子クラブ等など…数えれば切りが無く、公私共に家族に呆れられる程の日々を送ってきたようです。(忙しさは現在も進行形ですが)
今こうして長い年月の中に門があるのも、門のご常連たちの温かい眼差しにいつも励まされ、時には叱られ、守っていただいたおかげと深く深く
感謝しております。
これからも、まだまだ現役で門の店主として居座りますので、どうぞ末永くご来店くださいますように…。 |