そもそも、私の「花のみよし野」との出会いは小学4年生のときに何かの行事で聞いたのが始まりです。それをうろ覚えに覚えていたことが何十年も経ってから、三味線を習い始めた私に運命的な出会いがあり、「花のみよし野」の復元に向けて、夢は大きく膨らんだのでした。
長唄「花のみよし野」は、大正三年の三月、当時郡上郡川合(かわあい)村村長であった戸塚鐐助により郡上各地の風物を歌詞に詠み込んだ「郡上曲 花のみよし野」として創作されました。
その年の郡上郡役所開所式において、名古屋の杵屋六満佐による作曲、西川倉寿による踊りの振り付けによって華々しく披露され、また同時に西川流による新しい振り付けと三味線・太鼓の伴奏つきの優雅な郡上おどりも踊られました。この踊りが現在代表的な郡上おどり「かわさき」の原点となりました。
郡上における「大正デモクラシー」の先がけとして評判を呼んだ「郡上曲 花のみよし野」は郡上八幡の花柳界で重宝され、昭和二十年代までは事あるごとに上演されていたものの、やがて花柳界の衰退と共に次第に忘れ去られてゆき、平成三年の郡上おどり四百年祭での上演を最後にすっかり途絶えてしまいましたが、今から五年前、郡上八幡の三味線愛好家と杵屋勝哉師との出会いがきっかけとなり、昔の録音テープを元にした楽譜の作成を依頼することができ、一年余りの時間をかけて師の手によって美しく整えられた、長唄「花のみよし野」として見事に生まれ変わりました。
その後は地元有志で結成された継承会によって受け継がれ、大正三年の初演から丁度九十年の時を経た平成十六年八月二十九日、郡上市合併記念式典に復元上演され、以後現在に至るまで郡上八幡の各種イベントにおいて度々披露されております。
今日の郡上おどりの隆盛の原点となった、長唄「花のみよし野」の存在を、皆様是非知ってくださいませ。 |